古代への旅 I-2
2014年07月28日 10:51
観世音寺創建が六六一年(白鳳元年)であることが定説とされる現在です。また、太宰府の条坊制は、考古学資料より、政庁や観世音寺の建設まえの制定であることも明らかになりつつあります。この両建物の中心軸が、条坊制の区割りに一致する事が判明したからです。ここから、それでは『条坊制は何の為に創られたか?』、になります。ここで、旧地名の内裏や紫宸殿、等の意味が検討されて、天子の居所を中心に条坊制が制定されていたと推測されるのです。したがって、政庁跡 or 都府楼跡と言われている現在地の地下には、九州王朝の宮殿が在ったことになるのです。さらにロマンを押し広げて行くと、水城の最初の創成時期の三世紀には、中国の道教思想に基づく風水による主要地としての卑弥呼の居所(風水都市)が在ったとの推測が可能になるのですが!。
正当 or 正統派の歴史学者の方々から、お叱りを受けそうな展開です(笑)。
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