
怨恨は何処へ?
2016年02月23日 12:25不思議な気分である。なんとも表現しがたい。『あ、そうですか!』なのである。我ながら己の気持ちが理解できない。『ふう〜ん、そうなのか』である。「それだけで良いのか、もう少しはしゃいで、なんとか罵倒してやれ!」と、脳細胞の隅の方の記憶装置が、何やらモヤモヤと揺らいでいる。
謂れなきハラスメントにさらされていた当時(約20余年前)、暦のうえでは、立春頃。されどまだまだ寒い時期。「風雪に耐えて遠い春を待つ寒立馬」や「寒風にめげずに凛として立つ水仙」の姿に、自分の置かれた立場を置き換えて、やがて来る春の到来を期待しておりました。
つい先日、当時のハラスメントの元凶であったHの死亡の報せを受けた。その時の瞬間の小生の気持ちである。Hのことを端的に言い表せる言葉としては、「暴君」と言えるでしょう。傍若無人な振る舞いは、人間性の醜い一面を曝け出していた。虚栄心、権力欲、自己顕示欲、金銭欲、等々が極端に強い男であった。国の専門職養成の教育機関の一つである地方組織の末端にある部署の長であったのがHである。小生の一時期(16年間)の直属の上司であったHである。そのHは、「ボクの立場は、人殺しさえしなければ、何をやっても良いのですよ」と、平気で宣っていた不埒な奴(?!)である。どれだけ憎んでも憎くみ足りない、ボコボコに殴りつけたい奴でした。Hを頂点にして、以下に6人の男(3人)女(3人)が配属されていた部署であるが、Hにとっては家来を従えた殿様気分で過ごしていた。日常業務の大半を男性の部下に丸投げして、女性の事務官と技官(♀)を常に身近くに侍らせて狭い郭内を歩き回り、アレコレと注文をつけては、理不尽な要求を指示していた。一日中が、Hの監視下にあり、針のむしろ状態であった。小生の身体の変調異常が顕現し始めた。まずは便秘、睡眠が不足気味になり、さらに食欲低下、徐々に稲妻の突き刺さりのような偏頭痛へと進行した。夜中に目覚めて、眠れず、息を吸うと吐くを意識してやなければ呼吸が止まりそうな恐怖(過呼吸症候群?)に駆られ、戸外に出て真夜中の住宅街を歩き回って気を鎮めることもあった。同僚(♂)の一人は、精神的に異常をきたし、精神科への入退院を繰り返して、追い詰められて辞職した(まだ50代の壮年期であったが、その後、間も無くの死亡を知らされた!)。パワハラ、セクハラ、アカハラ、等々のやりたい放題の環境が許容されていた。上司に逆らうことは、世間が認めなかった。現代のように、ハラスメントへの理解がなかった時代である。これらに至るまでに、部署内のHの所業の異常さを再々訴えたが、同情はされるが、誰もが我が身へ降りかかる後難の火の粉を恐れて、周囲からの支援は皆無であった!。Hの定年退職まで、圧政から逃れられなかった。
その「暴君」の死亡の報せに対して、昔日の恨みやつらみをぶっつけたい気持ちが全く沸かないのである! 「病の告知を受けてもがき苦しみながら逝った」、とでも報せられたら、因果応報だ! ざまーみろと言ってやれるのであるが!
人は、「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」米国の作家、レイモンド・チャンドラーが生み出した小説の主人公に言わせたセリフである。この言葉は、小生の気持ちの中に、毅然と屹立している。(寒立馬の写真は、webより入手。)
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