
坊さん不在の自由形式の葬送
2015年04月29日 10:39約半世紀の親交のあった友(享年71歳)が、桜の花びらの淡いピンクの絨毯が敷き詰められるのを待っていたかのように、ジャズの音楽の流れに乗って軽やかに幽界へ旅立ちました。
やんちゃな十代の頃のエピソードを述べた幼な馴染みからの弔辞、故人の新たな一面を知らされた。『爺じ、沢山の本を読んでくれてありがとう。勉強を教えてくれてありがとう。○○も、○○もありがとう』と、お爺ちゃんへの呼びかけで始まった8歳のお孫さんの沢山のありがとうの送辞、そして自分の死後の始末で苦労させたくないと、気使っていた奥様からの感謝の言葉、『優しさに包まれて過ごした日々をありがとう』、等々を贈られて、遺影が少し照れているように見えました。祭壇正面のスクリーンに映し出された若かりし頃のスライド写真、当時を思い出して懐かしく、また故人の脳裏にも去来したであろう記憶の瞬間の数々、走馬灯のような感を受けました。楽しい一生を終えたのでしょう!。故人の人柄が偲ばれる暖かい雰囲気の式でした。
ある日突然に末期肝臓がんの宣告をうけたようだ。以前から肝臓の検査値が肝機能異常を知らせていた。にもかかわらず、自覚症状がないこともあり、我流の漢方処方薬で、かれこれ三十年くらいごまかして来た結果である由。今後は、『「がん放置療法」を採用して、ホスピスを探す努力をする』と、メールしてきていた。つい数日前に、すこしふざけながら『ラーメンなみに3分でできちゃった我が究極の辞世の句を披露いたします。』との メールも受けていました。また、情熱的な故人には、学生時に一方的な片思いのマドンナが居た。周りが盛り上げてラブレターを書かせた。が、敢え無く撃沈された。そのマドンナと、卒業以来の再会を果たした由。それで?、と先を促したところ、『懐かしかった。楽しかった。会えて良かった』と、こちらの野次馬根性を見透かした拍子抜けの対応であった。
ホスピスのベッドに起き上がり、『それじゃ、またね』と、握手した。お互いに、次週の再会をみじんも疑っていなかった。が、その後、一時外出で自宅に戻り、何冊にもなる日記帳を破棄処分したと、奥様から聞かされた。格好良過ぎる旅立ちであった。『三途の川を渡る時は、励ましてもらいたい』と請われていたので、精一杯の応援歌をおくり届けたい!!。彼の人生は、十分に満たされたものであったようだ。 合掌!。
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