ポルトガルのバス旅ツアー(2017.2.11〜19)。
ここ に地終わり、海始まる』という一節が刻まれた塔が建つロカ岬。首都リスボンから約110km, ユーラシア大陸最西端に位置する。この海の彼方に、我が国へと海路があったのかと思いを馳せてきた。
ロカ岬
巨大な6km)ユーラシア大陸の西の果て。ポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ詩の一節の『ここに地果て、海始まる』が刻まれた石碑が、大西洋からの風を受けて立っている。
ポルトガルのバスツアー旅に参加した。ポルトガルは、ヨーロッパの西端にあり、イベリヤ半島の85%を占めるスペインに、西海岸沿いに押しやられている小国である。国土面積は日本の1/4、人口は1000万人ほど。オリーブ油とワイン以外、これといった産業もない。ところが、歴史上燦然と輝く大航海時代は、この小さな王国から始まっているのである。1400年代末期から1600年代中頃、「大航海時代」と呼ばれて、ヨーロッパ人が世界の植民地化を開始した当初、最も力のあった王国はスペインとポルトガルでした。この二国は、「香辛料」をはじめとする貴重な品々の貿易を独占し、富を得るために、当時発明された羅針盤を駆使して海を渡り、香辛料の生産地で有名だったインドを目指した。西廻り海路(アメリカ大陸を発見;1492年)を開拓した大国スペイン(コロンブス)に対抗して、アフリカ大陸を南下、喜望峰を回ってインドに達する航路の開拓者(バスコ・ダ・ガマ;1498年)として知られるインドへ向かう東海路を開き、(マゼランの世界一周;1522年へと繋ぎ)、植民地政策で一時期巨万の富を築いた国である。
まずは、スペイン北部に在るキリスト教の三大聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を訪ねて、ポルトの二泊から始まった。ポルトガル発祥の地でありポートワインやアズレージョ(陶器タイル)で有名な町である。ここより、徐々に南下してコインブラ、ナザレ、リスボンへ泊まりを重ねて進む行程で在る。我が国における戦国時代には、ポルトガルとの結びつきを歴史で学んできた馴染み深い国である。南蛮船が漂着してもたらされた火縄銃(1543年;種子島への鉄砲伝来、1549年;キリスト教伝来へと繋がる)やカルタ、カステラ、ボタン、ビスケット、かぼちゃ、等々は、ポルトガル語に由来する。政治や宗教にまつわる当地の歴史が耳新しく興味深く感じ、楽しい旅でした。各地の食べ物が、基本は、スープとmain dish(牛肉、豚肉orタコやイカなどの魚介類)のポテト煮込みなどに!、デザートを加えた三点ものでワンセットでした。が、ビーニョ・ベルデ(発泡ワイン)や国産地ビールも美味しく、不思議と小生に合う日本風の感じがしました。漁師町ナザレでの夕食:main dishのイワシの塩焼きは、小生には塩加減が絶妙でした。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ聖堂(世界遺産)
9世紀の初頭、星に導かれた羊飼いが、この地で、キリストの12使徒の一人であるヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の墓を発見した。その後キリスト教徒の聖地とされ、ピレネー山脈を超えた各地から巡礼者が訪れるようになり、巡礼街道の終点になった。ヤコブが祀られているカテドラル(聖堂の天井)。(外壁の工事中で、遠景からも被写体として堪え難い装いでした)。
歓喜の丘
大聖堂を指差す往年の巡礼者の像がある歓喜の丘(巡礼者が聖堂が見えて歓喜したのでしょう!)の観光案内所の壁に、現代の巡礼者の姿がパネルに飾られていた。現代、巡礼と認められるのは徒歩100km以上、自転車では、200km以上で、途中の証明が必要とのこと。
ポルト
ドウロ川の南岸は、ローマ時代にカレーと呼ばれる州出会ったことから、ポルトウス・カレーと呼ばれ、これがポルトガルの語源になった。初代ポルトガル国王の進軍により南へ領地を広げた。ポルトガル発祥の地である。ワイン醸造所の景色。
サン・ベント駅(ポルトの玄関口)
20世紀の初め、修道院の跡地に建てられた鉄道駅。ホールの壁を飾るアスレージョ(陶器のタイル)ポルトにまつわる歴史的な出来事が描かれている。
デイナーショウで、「哀愁を帯びた歌声とギターの調べ」のファドを聴いた。
「ファドと云う言葉は、「運命」や「宿命」を意味するポルトガルの民族歌謡である。失われたものに対する郷愁、悲しみや懐かしさなど、人々の心の感情を表現している」とされている。日本における演歌(哀歌)なのでしょうか!。
表情は哀しそうですが、力強く堂々と唄われる言葉を理解できないために、感情が伝わらなかった。
コインブラ
政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル大3の都市、コインブラは、大学の街、文化の中心地である。14世紀以降、王宮跡地が大学として使用されている。左端の時計塔は、18世紀に建造されたもので、大学のシンボルに鳴っている。
高台にある大学から、モンデゴ川を望むコインブラの街並み
戦闘に勝利した将軍の像とバターリヤ修道院(世界遺産)
ポルトガル語で「戦い」を意味する名を冠し、ポルトガル独立を象徴する修道院(コインブラから南へ約70km)。
崖上のシティオ地区からの港町ナザレ(コインブラから南へ約100km)の眺め。
夏には、ヨーロッパ各地からのバカンス客で、浜辺が埋め尽くされる。
“谷間の真珠“ と呼ばれる城壁に囲い守られた村、オビドス(ナザレから約40km)
リスボン。
「七つの丘の街」と呼ばれる起伏の激しい土地に約48万人が暮す古き良き都。
朝の出勤時は、車の渋滞の列。
「発見のモニュメント」像
輝かしい大航海時代を切り開いた偉人たちを記念して造られた。最先頭に、エンリケ航海王子、バスコ・ダ・ガマ(3人目)とマゼラン(6番目)の像があり、天文学者、宣教師、船乗りなど、当代に活躍した人々が続いている。
ジェロニモス修道院(世界遺産。リスボン中心部から西に6km)
エンリケ航海王子、バスコ・ダ・ガマの偉業を讃え、また新天地開拓へと乗り出す航海の安全を祈願して、1502年の着工から約一世紀をかけて完成した。ポルトガル海洋王国の記念碑と言える。
バスコ・ダ・ガマの棺(ジェロニモス修道院)
リスボンの台所、カイス・ド・ソドレ地区にあるリベイラ市場がグルメな巨大なフードコートを開設。「人気のリスボンの有名店が軒を並べており、伝統的なポルトガル料理はもちろん、寿司を始めとしたオリエンタル料理、ステーキ、ハンバーガー、ピザまでと幅広いラインアップが特徴です。何を食べてよいか迷ってしまいます。」と紹介されています。実際に、大きすぎて全体が把握できない。適当に指差しで注文して、昼食を楽しみました。
寿司屋さんもありました。現地のガイドさんの一番のお薦めは、看板に見える matsu ;15.5ユーロ のお寿司でした。
また、ガイドさんお薦めのスイーツは、ポルトガルで一番美味しいと評判の行列の店のパステル・デ・ナタ(エッグタルト)。購入したら、暖かいうちに直ぐ食するのがベストであるとのこと。バスの集合時間を気にしながら、行列に並び購入して、食べながらバスに走り戻りました。評判(?)通りの美味さでした!!。
心残りが一つある!。不幸にも、本場のカステーラを味わえなかったことである。お薦めの店ですでに売り切れ!、であったからだ。
カステラの原型となったお菓子、ペオン・デ・ローを賞味してきた。中身がとろりとした生焼けで、すごく甘く濃い味。カフェ・ピンカード(すごく苦いコーヒー:エスプレッソ)がマッチしているでしょうか!。(web からの転載写真)。